

・・・こどもの頃の健少年はどのようなこどもでしたか?
成増で生まれ成増で育った生粋の板橋っ子です。
赤塚にある松月院の記録では16代目になっているようです。
・・・本当に生粋の板橋っ子だったんですね。
私が小さいころは、自然がいっぱいで、溜池公園で遊んだり、
その頃の高島平には沼地がいっぱいあって、自転車でザリガニ採りに行っていました。
荒川で魚釣りもやっていたんですよ。
・・・小さい頃は自然児だったんですね!
私は穴掘りが大好きで、ありみたいに穴を掘って家を作ったり、
家の周りに木があったので、木に登り今で言うツリーハウスなどを作って遊んでいました。
・・・普通の子どもと変わらない遊びをされていたんですね。穴掘りは別として(笑)
私は野球が好きでチームのキャプテンをしていました。
むかしは大会などなかったので、自分たちで対戦相手の野球のチームを探して、
練馬の豊渓小学校などに申し込みをして試合をしていました。
その中で、同級生が3人ぐらい甲子園に行ったりしています。
私は、根性が無かったので無理だったんですけどね。(笑い)
中学時代は、シニアリーグ(硬式野球)に入っていて、学校では軟式野球、土日はシニアリーグで野球をしていました。
・・・高校でも野球をされていたのですか?
高校では油絵を描いていました。絵を描くことが好きでしたので。
展覧会では結構賞をもらったりしていたんですが、やっぱりどの分野でもぐんを抜いてうまい人がいて、それを見てこれじゃ芸術関係は無理かなと思っていました、そうこうしているうちに建築があるなと思って建築の道にすすみました。
・・・建築と言うのはデッサン力が必要ですので、絵が役に立っているんですね。
そうですね、建築と言うものは、はじめに自分のイメージするものが有って、それを現実にする仕事ですから結構面白いですよ。
大学でアメリカンフットボールのクラブチームに入っていまして、とても弱いチームでしたけど、
テレビで金八先生をやっている時期で、河川敷で練習をしていると、撮影をやっていて面白かったですね。
建築学会のコンペ(設計競技)などでは結構いいところまで通っていました。
それに味を占めて建築にのめりこんでいったんですけどね。
家業の幼稚園(みその幼稚園)があったので、どうしようかと迷った時期があったのですが、
家業をやらずにそのまま建築の方にのめり込んでいきました。


・・・建築から政治への転進のいきさつはどのようなものだったのでしょう?
父が区議会議員を五期務めていたのですが、五期20年になろうとしていた1年前にがんで亡くなりまして、そうした状況をを見ていたこともあったと思います。気持ちの中では。
政治は大事な仕事ですし、大変な仕事だと思います。
・・・都議会議員へ立候補されたのですがそのへんの事は・・・
都議会議員への立候補のときは、正直自分でもびっくりしています。
父親もいないですし、地域に取っ掛かりもなかったですし、
あるひとからやらないかといわれ、決断して立ちました。
建築をやってもそうですし、幼稚園の経営をしてもそうですし、まちづくりをするにしても、
それぞれの分野で理想を思い描くと、もう少し何とかならないかな、と思うことがあるじゃないですか、
そういうものが全て政治に関わってくるんです。
建築にしても、幼稚園にしても、自分の力だけで、さらに良くしようと思うと限界があると感じたんです。
まちを良くしようと考えたとき、色々な複合的要素があって結果が出るわけですから、
最終的には政治が良くならなければ、全てのことが良くならないといけないと思ったわけです。
地元に近ければ近いほど大事であって、やはり区の仕事や区議会の仕事は、区民の一番目に見える仕事ですので、結果が間の当たりで見えますから、そういう点では地方議員であればあるほど重要であると思います。
・・・区長への立候補は?
都議会議員になって1年8ヶ月ですから、
始めは自分としてはやってみたいとはまったく考えていなかったんです。
政治とは、区政でもそうですし、全員の力というか関わり方というか、
協力関係があってできるものですから、
私がそういう役回りであって色々な立場の人が力を発揮しやすいのであれば、出来るなと思ったんです。
最後は皆で良くしていきましょうということで、皆さんと一緒にやって行けるのであれば、やってみましょうということになり、
自分なりに清水の舞台から飛び降りるような気持ちで立候補を決断しました。
・・・大英断だったんですね。
万が一失敗してしまうと、自分で考えてきた政治家としての夢が終わってしまいますし・・・。


・・・政治家としての夢とおっしゃいましたが、区長の夢とはどのようなものなんでしょうか?
政治に限らず区民の方と信頼が、信頼関係が如何にできるかということが大切だと思います。
それが地域であっても同様です。
区政においても区の行政と議会と区民とのかかわりもそうです。
信頼される区政をつくるということだと思います。
・・・区長個人の公式ホームページでマニフェストが載っていますが、それが公約と考えていいのでしょうか?
そうです、その通りです。
これが私の公約ですから、これが出来たか出来ないか、通信簿でもあります。
3つのナンバーワンは、私が都議会議員になる前からの信条なんです。
この理念に基づいて、みんなの共通目標として、
出来ることから、工夫をして、
板橋区の特徴をいかした区政にしていきたいと思っております。
私はふるさと板橋が、「あたたかい人づくりナンバーワン」「元気なまちづくりナンバーワン」「安心・安全ナンバーワン」の3つのナンバーワンを達成するという夢をもっています。
例えば、元気なまちづくりであれば、元気な産業を作りましょう。生産額が東京で一番になるなどです。
商店街もそうです。板橋にしかないナンバーワン。
教育もそうです。平準化していって皆さんがいい子になることは大事かもしれませんが、
生まれも育ちも違うなかで、自分の夢や希望、そのようなものを地域が見守って、くじけそうになったときに何とか支援できるようなそのような形にしていければいいなと考えています。
・・・「いたばし力(りょく)」という言葉がありましたが、区長が考えられた言葉ですか?
そうです。
・・・「いたばし力」のなかには沢山の項目がありますが、そのなかで一番最初にやりたいことは何ですか?
急を要するということでは、子育て支援です。
健康面については皆さん意識が高いので、子どもさんの医療費の助成ですね。
今回の定例会に上程しましたので、議会の承認があれば10月1日から実施ということになります。
・・・最後に区民のみなさんへ一言お願いします。
3つのナンバーワンを達成することは、区民の皆さんと私たちの共通の願いですから、区民の皆さんも一緒に実施していきましょう。
時間がかかるかもしれませんが、信頼していただける、そうした区政を作っていきたいと思っております。
・・・ありがとうございました。 |