○太鼓の世界に入られたきっかけは?
見栄えがするので、最近は組太鼓が多いのですが、
うちの太鼓の特徴は、櫓の上に乗ったら一人なんです。
自分一人でも、ばちさえあればどこでも行って叩けるのが特徴です。
先日も桐生の八木節祭りに行って、たたいて来たんですけれど、八木節が好きで太鼓を始めたのです。
もともと東京生まれなんですが、疎開をしていて16歳のときに、疎開先から東京に出てきて、深川の魚屋さんに勤めたのです。
日本橋浜町の盆踊りに行ったときが、私の太鼓の原点です。
私は、幻のおっしょさんと呼んでいるのですが、
その盆踊りで太鼓をたたいていた人の太鼓に、ものすごく感動したんです。
それから太鼓に魅せられてたたくようになったんです。
太鼓をたたくために、いろいろな所の盆踊りの予定を調べてたたきに行っていました。
23区の半分以上は行ったと思います。
○萩乃さんはお年はおいくつですか?
63歳です。
板橋区の方に引っ越して、徳丸にずっと住んでいます。40年ぐらいになるかな?
○職業で太鼓を打っていらっしゃるのですか?
いえいえ、太鼓だけではなかなか食べていけないので、趣味というのか、好きというのか・・・・
自分が覚えたものを一人でも多くの方に教えてあげたい思いですかね。
今は、生涯学習と青少年健全育成ということを目標に活動しています。
5歳から84歳までの幅広い年齢層の方が一緒に練習していますよ。
実際は、0歳から練習しているんです。
女性の方で、お腹の中に赤ちゃんがいる人もたたいていますので、お母さんのお腹の中で太鼓の音を聞いているんですよ、そういうことで0歳から練習しているんです。
その子どもは、太鼓をたたいていますよ。
子連れのお母さんが、太鼓をたたいている間は、部屋の隅で昼寝をするんですが、大きな太鼓の音の中でも、子どもはすやすやと寝ているんです。不思議ですね。
お母さんの心臓の鼓動、太鼓のことを鼓道というのですが、同じなんだとそのとき思いました。
だから、子どもは安心してすやすやと寝れるんだと・・・・
○郷土芸能伝承館で稽古を始められたのはいつごろからですか?
この伝承館が出来たのが、平成元年です。
最初は、ここで太鼓を打てるなんて知らなかったんです。
あとで、打てることが分かって、平成3年からここを活動の拠点としてやっています。
そこで活動をするには名称が無いといけないので、民謡を中心に音頭物をと言うことで、日本民謡櫓太鼓と名称をつけました。
○活動の内容などお聞かせください。
10年ぐらい前から、児童館で太鼓を教えたりしています。
日本伝統文化こども教室で教えています。
練馬区の南田中小学校では、クラブ活動として今年の4月から1年間の期限で教えています。
練馬区からも稽古に通ってくる方も多いんです。
その親御さんからの要望もあって北町小学校でも教えています。
赤塚福祉園、仲町ふれあい館、小豆沢福祉園などの施設でも呼ばれて行っています。
いたばしボランティアセンターに登録しているので、
いろいろな施設からの依頼も多いですね。
板橋区区民まつりや、荒川市民マラソンでは、毎年たたいていますよ。
日本とドイツの文化交流で、1999年にはドイツのハンブルグに行ってたたいてきました。
一人ではなくここにいるメンバーで行きました。
○現在、お弟子さんと言えばいいのか?メンバーは何人ぐらいいらっしゃるのですか?
はっきりとした数は分かりませんが、60人ぐらいいると思います。
稽古日には、30人ぐらい集まってきます。
○いろいろな地域から稽古に来ているようですが・・・
板橋区の全地域、練馬区からが多いですね。
○萩乃流の特徴はどんなところですか?
踊りや曲に合わせる太鼓の打ち方を中心に、
みんながたたける打ち方ということをやっています。
萩乃流独自の打ち方もその中に入っています。
勝手にたたくと踊りや曲とのリズムが合わなくなってくるんです。
いろいろな人に、何だ盆太鼓じゃないかとよく言われるのですが、
私の目的が、踊りやすい太鼓、踊る人のための太鼓なのでそれでいいと思っています。
そのための音頭太鼓なんです。
○今後の活動の展望や抱負などありましたらお聞かせください
もっと、活動の場を広げていろいろな場所でたたいてみたい、
出来れば海外でもたたきたいですね。
80歳現役を目標にしています。
○板橋の徳丸に住んで40年ですが、
忘れられないエピソードなどありましたら教えてください。
エピソードではないんですが、
徳丸は北の神社を中心として、赤塚餅つき唄・麦打唄・板橋田植唄・大門四ツ竹踊り・徳丸四ツ竹踊り等、伝統芸能が多いところです。そういうところがいいですね。
板橋は民謡の多いところなんですよ。
むかしから、全国の人が東京に集まってきたんです。
そうすると地方の民謡も入ってくるんですね。
その民謡が形を変えて、地元に定着したりしたんですが、戦争で途絶えてしまって、残っていないんです。
譜面に残ってなかったわけです。
謡い次がれてきたのですが、戦争で多くの方がなくなってしまったので途絶えてしまったんです。
歌詞は残っていても、どのように歌って良いのか、曲(節)が分からないんです。
残念ですね。
○最後に区民の方に一言メッセージをお願いします。
板橋を愛して、板橋の伝統芸能にもっと触れ合ってもらえれば嬉しいと思っています。
第1、第3、第5日曜日の、午前10時から午後4時まで伝承館の地下で稽古をしていますので、見学に来てください。見学は自由です。
一緒に太鼓をたたきましょう。
○ありがとうございました。
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